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日本航空 サンパウロ線廃線に伴い その②

日本航空サンパウロ線のチャーター時代の話。

チャーターでしたので、機内では食事の手配だけはアテンダンス(当時はスチュワート&スチュワーデス)が運んでくれましたが、

機内アナウンスはすべて添乗員がしていました。

「皆様本日はXXX会社主催の日本航空チャーター○○便をご利用いただき誠にありがとうございます。

これから日本に向け出発いたします。お座席のシートベルトをしっかりお締め下さい。・・・・・」

などと各地乗降機の際に注意とスケジュールなどを盛り込み、

慣れないマイクで制服姿のプロのスチュワーデスを目の前に案内をしておりました。

チャーター機だということもあったか、巡航高度になると機長がコックピットから出てきて、

制帽を小脇に挟み客席を通りながらお客様に一人一人挨拶をして「何年ぶりですか?」
「日本、楽しみですね。」などと声をかけながら通って行くのです。

添乗員席を予め調べておくのか必ず「添乗員の△△△さん、大変ですね。頑張って下さい」などと励ましてもくれました。

私などそのたびに緊張とうれしさで直立不動で深々と声も出ずお辞儀をしたものです。

「あと1時間ほどで、羽田空港に到着します。右手に北海道が見えてきました・・・・・」

乗客は「ウォゥ!」、「ワァー!」とか言いながら右舷の窓にしがみつき、中には感激して泣きながら見ている人もいます。

万歳を叫ぶ人も、肩を叩きあい抱き合う人も・・・・、

機長はそんな客席の状況を察知してか、その時機体をほんの少し右に傾けてくれるのです。

小さな、ちょっとした心使いですが、我々添乗員にとっては何よりの喜びと、機長・搭乗員との一体感で身震いをする一瞬だったのです。

あの時代の、あの機長さんたち・・・・・
何人かのお名前を今でも覚えております。

日本航空 サンパウロ線廃線に伴い その①

かつて私が業界人一年生の時にはまだ日本航空がサンパウロに定期便が飛んでおらず、

その定期便を運航するための実績作りとして毎月2本くらいのチャーター便が飛んでいました。

当時羽田を出て、アンカレッジ/ニューヨーク/サン・ファン/リオ・デ・ジャネイロを経由して片道約36時間の旅でした。

使用機種はDC8型機。空の貴公子と言われた当時の長距離花形機でした。

サンパウロから日本に向けても同じルートを飛んでくるのですが、

サンパウロ空港を出発する時には、夢の母国へのお里帰りをする年老いた両親を見送る子供達や親戚の見送り人、

着の身着のままでやっと帰国する家族や独り者、さまざまな人間模様を詰め込んで飛んでいた路線でした。

空港には家族も親戚も乗っているわけでもないのに飛行機だけ、

日本航空のあの鶴のマークを見たさに金網を握って飛び立った機影をいつまでも見つめていた人達もたくさんいました。

いつか自分も錦を飾って母国に帰るぞと誓っていたはずです。

あれから40年。

定期便として30年飛び続け日系人を励ましてくれてきましたが、

私は日本航空があの鶴のマークをやめてリニューアルを決めたころ(2006年ごろ?)からあらぬ方向に向かって経営が破綻して行ったのではないかと密かに振り返っています。

まさに鶴のマークの時代が全盛期で、ここに来て鶴が翼をたたんだ感じがするのです。

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